井筒俊彦『コーランを読む』

井筒俊彦コーランを読む』
牧野信也コーランの世界』

コーランや聖書、仏典など読むのは楽しい。だが体系的にテキストを読み込もうとすると、宗教書は理解が出来にくい点が多い。歴史的、文化的な文脈の解釈書が必要になる。牧野氏の本はコーランの世界観を「創造と終末」という主題で意味論的に分析している。旧約の預言との比較もある。「創造」と「終末」はセットになっていて、「終末」が「第二の創造」だともいう。コーランは「終末」がおおきなテーマだが、そこには創造―終末―復活―審判−第二の創造(天国と地獄)が一貫している。牧野氏は終末に焦点を合わせ、情景、時間、信仰などを細かく分析している。終末と復活、再生がアッラアーの「約束」としてあるが、底には創造の「徴」の恵みがある。
 井筒氏の本は深いコーランの読解である。井筒氏は①現実的記述②想像・幻想的記述③物語的の三層構造から読み解こうとする。終末は幻想的記述とみる。コーランを7世紀のアラブの社会革命、宗教革命として歴史視点で見るのも面白い。①イスラム以前の運命・宿命主義(無常観)に対して、神の意思による存在の自由創造と神・存在の賛美、②部族共同体社会に対し、神と個人が向かい合い、信徒同士の信仰共同体(ウンマ)への転換③偶像崇拝多神教から一人格神への転換へ④アラブ遊牧民的自力救済から神の奴隷としての絶対他力・帰依主義へ、など革命的だった点がわかる。
 井筒氏はコーランの文体について声を出して唱える(仏教のお経や声明に似る)ものとし、終末の叙述などは「同音あるいは類似音の脚韻的反復を特徴とし、そのリズムが太鼓の音のような不思議の効果」をもち、聞く人を自己陶酔的な興奮状態にし、外的世界に関係ない深層意識的イマージュの連鎖に引きずり込むという。マホメットが「詩人」を警戒し嫌ったのは近親憎悪があると思う。コーランにある二元論の強さ。神も慈悲の神と憤怒の神の二面性、善と悪、天国と地獄、信仰者と不信仰者なども、井筒氏の存在論的・実存的解釈から少しずつわかってきた。読み終わりイスラム神秘主義をもう少し知りたいとも思った。(『コーランの世界観』講談社学術文庫コーランを読む』岩波書店