茨木のり子『言の葉』1,2,3巻

茨木のり子『言の葉』(1)(2)(3)

詩人茨木さんのイメージは、凛とした品格のある精神だと思う。「部屋」という詩では「わがあこがれ/単純なくらし/単純なことば/単純な生涯」と詠う。「倚りかからず」では出来合いの思想、宗教、学問、権威に倚りかからないといい、「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」と詠う
時代の流行に背を向け毅然としていた。
「はたちが敗戦」というエッセイが収録されているが、皇国少女だった茨木さんは戦後経済成長後の日本の傲慢、品格のなさ、日本語の堕落を嫌った。50歳にしてハングル語を習い韓国たびたび旅をしている。『言の葉』(3)には韓国現代詩人の訳詩が納められている。「総督府へ行ってくる」という詩に「日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき/老人の顔に畏怖と嫌悪の情/さっと走るのを視た」というくだりもある。「今日 詩を書くと言うことはあまりにも/商業主義的になった社会への一種のたたかいである/それは言葉を質の低下から守るようなもの」(「記憶に残る」)といい、詩の最大の敵とは固定観念であるともいう。
 この三冊には茨木さんのエッセイも多く収録されており、読んでいて楽しかった。茨木さんが好む詩人金子光晴山之口獏谷川俊太郎の詩論は見事に詩人に肉薄している。金子光晴と自分の夫の死を描いた「最晩年」は涙がでた。夫の死後の挽歌を集めた「歳月」が収録されていないのが惜しい。「櫂小史」は戦後詩の一断面が述べられ、川崎洋吉野弘大岡信谷川俊太郎の若き日が生き生きと描かれている。(三冊ともちくま文庫