イェーリング『権利のための闘争』

イェーリング『権利のための闘争』
村上淳一『「権利のための闘争」を読む』


日本でも裁判員制度が定着しつつあり、訴訟社会化も進んでいる。法学の古典『権利のための闘争』は、近代ドイツ法学の考えを述べたものだが、いま読んでも色あせていない。訳者・村上淳一氏の『「権利のための闘争」を読む』はその背景を解説しているが、西欧法思想を、ローマ法まで遡り説いていて読み応えがある。イェーリングは冒頭に「権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」という文から始めている。
 イェーリング古代ローマで、個人の権利は国家に負うものでなく、自己の存在根拠にあるとする「倫理的人格」から発し、その「節度」による法秩序という前近代的権利観念を受け継ぎ近代国家法が作られていったと述べている。権利を「国家から与えられた権限」と見るのではなく、倫理的人格の自己主張としての権利行使として捉え、利益や金銭的ものを重要とする法実利主義を批判している。私が面白かったのは、「ヴェニスの商人」の人肉裁判で、イェーリングユダヤシャイロックの権利主張を正当だとし、ポーシャの血一滴も流さず肉を取れという主張を詭弁だとして避けている件だ。
 村上氏の本は、単なる解説書でなく、西欧法思想を辿った上、日本の権利思想とも比較した深いものだ。村上氏は前国家的な倫理人格の侵害にたいする自力救済の考えが、「家長たちの国家共同体」「私法共同体」の権利感覚となり、「契約」観念を生み出し、それが近代市民社会に引き継がれたという考えだ。それを日本の柔軟な義理規範と比較している。いま私たちも西欧法思想のなかで暮らしているが、その原点にもどり、倫理、法、訴訟、契約などを考えるために読む本だと思う。(いずれも岩波書店