アリストテレス『詩学』ホラーティウス『詩論』

アリストテレース詩学ホラーティウス『詩論』


ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』の中に、散逸されたアリストテレース詩学・第二部』が発見され、修道院で喜劇論と笑いについて語られる場面がある。この『詩学』は第一部の叙事詩・悲劇論にあたる。プラトンは詩劇に対して、自然の模倣・再現で真実在(イデア)を曇らせると否定的だが、アリストテレースはポイエーシスという創造行為に重きを置き、「可能である出来事」「起こるであろうような出来事」を描く詩劇の生成を重要視した。
悲劇とは完結した高貴な行為の再現であり、喜劇が人間を現実の人より劣った醜さの行為であるように描くのに反し、現実の人間より優れた行為を示す。その行為は「あわれみ」と「おそれ」を引き起こし、そのような感情を「浄化(カタルシス)」させる。悲劇は激情という情念を除去し和らげ、理性の適度の状態に戻す。アリスチテレースの「浄化」は精神分析療法のようなものなのか。日本の「清め」のような荘重な集団的信仰行為なのか。ローマ時代のホラーティウスになると、聴衆に対する効果は、喜ばせることか、または役に立つことになる。
アリストテレースの悲劇論で注目されるのは、神や偶然を劇の外の放逐し、あくまでも人間の首尾一貫した統一的行為の再現としていることだ。不合理を排除し、筋、性格、思想、旋律、舞台装飾などに矛盾、不自然を嫌う。合理的秩序の劇。「あわれみ」は不幸に値しないのに「あやまち」により不幸になることにあり、「おそれ」はわたしたちに似たにた人が不幸になるとき生じる。父子や母子のような親しい関係にある人々の殺害は苦難が生じる。「逆転」は行為がこれまでと反対の方に転じる。「認知」は無知から知への転換を指し、ソポクレス「オイディプス王」には両方があるという分析もしている。「機械仕掛けの神」が最後に出現して大団円になることにも否定的である。この『詩学』理論が西欧劇に及ぼした影響は大きい。(岩波文庫・松本仁助、岡道男訳)