ゲルマン『策謀家チェイニー』

バートン・ゲルマン『策謀家チェイニー』
 21世紀アメリカ政治は9・11ニューヨーク同時多発テロから始まり、対テロ戦争からイラク戦争、アフガン戦争と激動の時代だった。この時の政権がブッシュ政権だった。この本はジャーナリスト・ゲルマンが「政権のダース・ヴェイダー」といわれた副大統領チェイニーに焦点を合わせ、政権の内幕を綿密な取材で書いたもので、08年ピュリツァー賞を受賞した。ニュージャナリズムの傑作「ベスト・アンド・ブライテスト」や「大統領の陰謀」のように、アメリカ政治に肉薄したノンフィクションである。読んでいて迫力がある。
「強いアメリカ」と「小さな政府」という矛盾を抱えながら、マキアリズムの政治手法で秘密主義を厳守しながら、「大統領特権」=一元的行政府支配を行っていくチェイニーは表舞台のブッシュの出来ないことを実行していく「裏の大統領」として描かれている。アメリ憲法三権分立を崩し軍司令官としての大統領に全権を持たせる信念の持ち主チェイニーは、アメリカ史上始めての「大統領代理」の強い副大統領だった。9・11テロの時、ブッシュがフロリダに行き不在で、ホワイトハウス地下壕でハイジャック民間機撃墜命令を独断でだす記述は驚くべきものだ。同時多発テロを受け、国内盗聴の開始、テロ犯の拷問の容認、グアンタナモ収容所の超司法的監禁など、国内法や国際法を無視して、司法省を排除していくチェイニーの政治は、自由と人権国アメリカが、「強いアメリカ」に屈服していく過程である。
サプライサイド主義のチェイニーが富裕層や配当の減税を進め、エネルギー産業と結び大気汚染基準を緩和し、京都議定書から離脱していくため科学者をも抱きこむ政治手法も凄い。この本はテロ犯の拷問や盗聴に力点が置かれているため、環境政策や金融政策は簡単に触れられているだけでもう少し読みたかった。政権末期の金融危機はチェイニーの政策にも一端があるから。
オバマへの政権交代はチェイニー問題を解決していない。訳者・加藤裕子氏が指摘しているように保守対リベラル、小さい政府対大きな政府の基本理念の対立は深いし、「強いアメリカ」への願望は構造的にある。議会選挙でのティパーチィ派はチェイニーの大衆版でもある。21世紀アメリカの変質が始まっていることを教えてくれる本だ。(朝日新聞出版・加藤裕子訳)