根井雅弘『近代経済学の誕生』

根井雅弘『近代経済学の誕生』


経済学とは何か。私は哲学思想と同じ構築された思想作品だと思う。数学を使い統計を使う技術に見えるが、基本は社会思想である。たとえばこの本の主人公の一人マーシャルは、時間の影響を精密に追及するとか、関連ある諸量と特に関係のある複雑な相互作用を研究するとか、非経済的影響=量的測定をのがれるようなものを考慮するとかは、思想の方法である。市場、価値、貨幣、社会の正義公正、労働、競争と分配、利潤、国際貿易、いずれをとっても思想の相違が学説になる。この本でマーシャルを中心として、権威と反逆したワルラスシュムペーターケインズの関連をあっかっているが、思想の闘いがあって面白い。思想市場の自由競争にはたして「見えざる手」による自己調整はあるのか。
 この本はジェヴォンズによるリカドーとミルの古典派経済学への挑戦に対し、マーシャルが防衛的理論構成をするところから始まる。マーシャルは、ダーウィンの進化論の影響を受け時間を経済に適応し漸進的な「連続性の原理」を取り入れ、動学的に需要と供給の均衡論を着想する。マーシャルのいう企業が蓄積した富を進んで公益に提供する「経済騎士道」は企業市民に通じるし、また根井氏が分配を人為的体系として捉え改変していく厚生経済学の先駆者とマーシャルを見ているのも面白かった。
 マーシャルが権威になると、レオン・ワルラス数理経済学を引さげて挑戦する。小説家になるか、社会正義のため経済学者になるか迷うワルラスを経済学に向かわせたのは、「富の性質と価値の起源について」の著書がある父オーギュストだった。わたしは、経済学において、ミル父子とワルラス父子は「巨人の星」の父子だと思う。ワルラス(子)は「経済学と正義」で所有は交換価値の理論に従うとし、土地国有化と賃金免税論を展開した。シュムペーターは、経済の連続性の原理を批判し、企業者のイノベーションで断絶した経済発展があると考えた。ケインズは市場の自己調整を批判した。「投資家階級の、自分たちの利益をはかる行動が、労働者には大量失業をひきおこし、企業家には慢性的な不況をもたらしている。」非活動家階級対活動家階級の対立がケインズの現状認識であり、国家の市場介入を是認する。経済学の思想対立はいまや政治の対立に直結している。(ちくま学芸文庫