ブレイン『コペンハーゲン』

マイケル・フレイン『コペンハーゲン

20世紀物理学革命で量子力学の「不確定性原理」をとなえたドイツのハイゼンベルクが、1941年ナチス占領下のコペンハーゲンに師だった物理学者ボーア夫妻を訪ねた場面を二幕のドラマにしたフレインの緊迫したドラマである。登場人物はその3人だけだが、ここで語られるセリフは、量子力学の発見の対立と、原子爆弾開発という20世紀最大のドラマである。ナチスのもと原子爆弾開発に関わったハイゼンベルクが、その最中になぜ師のボーアを訪ね、なにを語ったのかという謎がある。第二次世界大戦のさいちゅう、ナチ・ドイツとアメリカの原爆開発競争でハイゼンベルグが抵抗したのか、それとも計算ミスでなのか、ドイツはとうとう敗戦まで原爆を持てなかった。持ったらアメリカが広島、長崎に投下したように、ロンドンは壊滅していただろう。イギリス人フレインにとっては切実なテーマである。
20世紀物理学者の原子核研究が、核爆弾という大量破壊兵器の製造に発展していくことに対する物理学者の人間的苦悩は、アメリカでのアインシュタインフェルミオッペンハイマーにも見られるが、ドイツでもハイゼンベルクにもあったのではないか。だがハイゼンベルクその人の曖昧性や両義性が、電子の「不確定性」のように「測定」不能に陥っていくのが、このドラマにある。核爆弾製造そのものが、ギリシア悲劇のような両義性を持っており、人類絶滅をもたらす恐怖の時代の始まりとすれば、被爆国日本人として、この戯曲はやはり悲劇である。飛び出した素粒子は闇の中を漂い、誰もその位置はわからないという「不確定性原理」そのもののドラマである。(早川書房・小田島恒志訳)