国立歴史民俗博物館編『武士とは何か』

国立歴史民俗博物館編『武士とはなにか』

国立歴史民俗博物館で2010年12月に企画展示「武士とはなにか」が開かれ、大部なカタログが発刊された。これには、重要文化財「前九年合戦絵詞」「織田信長像」国宝「上杉家文書」や「川中島合戦図屏風」、「本多家文書」「川路聖謨先祖書・由緒書」、さらに甲冑、太刀、ケーベル銃などが展示された。武士とかサムライとかいま安易に使われが、中世から近世にわたる武士と武家を多様なモノ資料で、歴史時代で異なる武士イメージを探究しようとした。
歴史学では平安末期に武士発生をめぐって、地方有力農民の自生的武装化説と中央平安貴族層の武装化説とが論争された。この展示では残念ながら其処には立ち入っていない。それよりも公家との相関関係で武士がどう確立されたかを、文書で示そうとしている。さらに中世から近世にかけ、職能から身分になる際、武士が農民にかえつたり、農民や土豪が旗本や大名になる流動化も示している。そのため系譜や由緒、軍功書が大切になる。
日本は東アジア世界で珍しい武人政権が600年も続く。そのため武士の統治官僚化により江戸幕府以来「文武両道」が重要になる。武士は主人への個人的・情緒的忠誠から、主人の「家」への奉公に変わる。私が興味を持ったのは幕末の幕臣川路聖謨である。その「先祖書」など展示されている。周辺的武士身分から、下級御家人の養子になり、学問・武芸に励み勘定所の資格試験に合格し、とんとん拍子に出世し旗本になり、勘定奉行外国奉行になり、江戸城が官軍の手に渡る良く日に切腹する。多摩の農民から、武士になる新撰組近藤勇土方歳三の資料もあり、形式的には「武士」だが、実態は中世の武士とは異なる。「武士道」は明治になり、民族精神と結びつけた西周新渡戸稲造の発明なのだ。
サムライ日本」などスポーツで宣伝される武士は、果たしてどこに存在するのかを考えさせる。(歴史民俗博物館振興会刊)