五木寛之『親鸞』

五木寛之親鸞
宗教者のなかで親鸞ほど小説化された人はいないだろう。吉川英治丹羽文雄津本陽など。また数多くの親鸞伝や親鸞論も出ている。五木氏の親鸞は「青春の門」の作者らしく、親鸞の少年期から35歳に越後に流罪になるまでを扱う青春小説である。青年の成長をえがく教養小説でもある。親鸞の若き時は伝記として不明な部分も多い。そこを五木氏は冒険活劇的想像力で、息つかせぬロマンにしていて、読みやすい。そこに登場してくるのは、遊芸人、僧兵崩れ、ツブテ打ち、遊女、密偵、など下層民である。他方、後白河上皇天台座主慈円法然など支配層も出てくる。私は読んでいて網野善彦の中世歴史学の世界を思い浮かべた。
主題は、比叡山に堂僧になった親鸞が悩みながら法然と巡りあい、他力本願の専修念仏の思想・実践に目覚めていくかである。法然との対話や、急進的門下僧との論争などで重要な念仏宗の核心が語られていく。小説ではあるが、浄土宗、浄土真宗の思想がきちんと述べられており、法然親鸞思想入門にもなる。核心は人間に差別なく「悪」を抱えており、その救済には自然に出てくる他力による「信仰」で称名念仏を唱えることにある。そこには知識より、信仰における無知としての「愚」の発見がある。
果たして念仏さえ唱えればどんな悪をなしても救われるのか、念仏は一声だけでいいのかなど将来親鸞が息子を義絶する異端論争の萌芽も法然門下僧の論争にでている。越後流罪以後、関東布教、晩年京都で主著「教行信証」執筆など、中年・晩年の親鸞について五木氏の小説も読みたいと思った。(講談社