亀山郁夫『磔のロシア』

亀山郁夫『磔のロシア』

スターリンと芸術家たち」という副題が付いているように、20世紀ソ連独裁者とその粛清のなかで、権力の庇護と賞賛と、「二枚舌」などの抵抗の葛藤によって、自己表現を試みた芸術家6人を扱かつている。全体主義権力とは何か、芸術家とは何かを個人の内面、作品の深層、事実の内部まで推測までまじえ迫ろうとしている。詩人・マヤコスキーは自殺か国家保安部による暗殺か、作家・ゴーリキーは毒殺か否かに関しては、いまだ真相は分からず推理小説のように読める。また作曲家・ショスタコーヴィチや映画監督エイゼンシティン、詩人・マンデリシタームさらに詩人・ブルガーコフの二枚舌とスターリンにたいする両義性をもった作品創造によるサヴァイバルの生き方は、読んでいて迫力がある。
私はエイゼンシュタインショスタコーヴィチスターリンとの関係が面白かった。エイゼンスタインは、映画「イワン雷帝」や「ベージン草原」でスターリンを父と愚意して、自己の幼少期における母の蒸発と父の強圧性も重ね「父殺し」、さらに父の子殺しを作品化したという。それは亀山氏のドストエスキー「カラマーゾフの兄弟」の父殺し解釈とも繫がる。だがイワン雷帝スターリンエイゼンシュタインという三位一体と見れば、全体主義コンプレックスがあったという解釈も納得がいく。
作曲家・ショスタコービッチの場合はより複雑な様相を呈する。大テロル時代にオペラ「ムッェンスク郡のマクベス夫人」がスターリンの審判で「音楽ならざる荒唐無稽」として上演禁止になった後、「交響楽第五番」で「社会主義リアリズム」と絶賛されたこの作曲家の「二枚舌」の在り方を亀山氏は詳細に描き、見事なショスタコービッチ音楽論になっている。この本は様々な根源的の問題に触れているが、20世紀ソ連時代の芸術を解くため、いやロシア芸術を考えるためにはかかせないと思う。(岩波現代文庫