間宮陽介『ケインズとハイエク』

間宮陽介『ケインズハイエク
自由を巡ってのケインズハイエクの考え方を比較して論じた本だが、金融危機以後の現代にも当てはまる。自由市場か政府介入の管理経済か、私的利益か公的利益かという考え方は、20世紀前半のこの二人の大衆社会での自由の変容の論争から始まっている。ケインズは私的利益の追求を社会化するため、自由主義と自由放任主義を峻別した。自由市場経済が、金融型の自由放任になると、実物経済が「投機経済」に変容していく。間宮氏はこう書く。「資産市場での売買は、価格の変動にまつわる局地化された不確実性を利益の源泉とするマネーゲームの様相を呈してくる」。だが経済を政治によって補完すると、視野が短期化した投機貨幣経済に短期的金融政策で介入すれば、経済をますます狭めるという指摘もしている。このジレンマをどうするかいまだ解けていない。
ハイエクは、自由を強制「〜からの自由」と、なにかを成し遂げる積極的「〜への自由」に分けた。その上で自由は、人間の不完全性の限界という条件の中で、伝統・慣行・ルールの下での自由である。自由は消極的自由で「不在の体系」になる。正義は不正の不在であり、法は「為せ」という命令でなく「すべからず」という禁止の体系であるとハイエクは考えた。面白かったのはハイエクの民主主義論がトックビルに似通い、大衆化による「多数の専制」が、人間の不完全性から出発した自由主義と異なり、人間の絶対視と自足した多数の自己肯定に陥るとしたことだ。この本は現代社会思想を知る良き入門書である。(中公新書