劉暁波『現代中国知識人批判』

劉暁波『現代中国知識人批判』
2010年ノーベル平和賞受賞の中国の文学者・劉暁波のこの本を読んで、私は明治の思想家・福沢諭吉の哲学を思い出した。事物の「惑溺」から、主体的独立、権力の偏重から多元的自由を求め、儒教思想批判と「脱亞入欧」を説いた福沢と、中国伝統思想(儒教)=一党独裁思想を批判し、西欧化=国際化を訴える劉暁波の思想が共鳴して見えたのだ。
もちろん、日中社会の相違や、時代状況の相違、歴史状況の違い、福沢のマルクス主義の欠如など異なる事は多いが、思想の相似を考えてしまう。単一イデオロギーの支配から、種種のイデオロギーの並存や、画一的統制を対立による統一に、伝統的思想習慣を、理性中心に斬進的に変えていこうという姿勢も似ている。両者とも東アジアを支配した儒教思想の重圧からの解放と、「近代化」への精神的離陸を促しているのだ。
この本での劉氏の知識人批判は呵責がない。その底には近代中国での激しい知識闘争がある。1930年代の魯迅らの文学論争から始まって、反右派闘争、文化大革命、精神汚染批判、ブルジョア自由化反対、そして天安門事件に至る思想闘争の激しさは日本では、考えられない。劉氏も指摘しているように、中国では政治と知識人が密接につながっているためか。そういえば、前近代の皇帝専制政治には、科挙で選ばれた知識官僚が政治の主導権を握り、官僚同士の党争が激しかった。知識・道徳に優れているとされた儒教的知識人の遺産が一党独裁の底に隠れているとみる劉氏は、多党並存、私有制、市場経済、言論思想の自由、「人治」より「法治」を主張している。明治14年の政変による福沢の挫折、日清戦争による国権主義の転向は、果たして劉氏の今後をどう占うのか。翻訳者野澤氏の注は詳細であり勉強になる。(徳間書店野澤俊敬訳)