バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』

バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』


リョサの小説論である。フローベル論である「果てしなき饗宴」とともに、リョサの小説を理解するための本でもある。リョサは、文学とは自分の生きている現実にたいし反抗心と批判精神を持ち、自分の想像力と願望が生み出した世界を変えたいという欲望から始まると言う。現実に対する不信が文学の秘められた存在理由とする。ぞーとするサナダムシを体内に飼っているようなもだともいう。忍耐と修練がフローベルに傑作「ボヴァリー夫人」や「感情教育」を書かせた。どこかの国のようにタレント化、コマーシャル化する文学とは異なる。
文学の「説得力」は、フィクションと現実を分かっている距離をちぢめ、その境界を消し去り嘘や幻影が永遠に変わることのない真実と思わせなければならない。そのための文体、文学的空間、文学的時間の工夫をリョサは綿密に語っていく。ここでは、20世紀文学のジョイスユリシーズ」などが語られる。面白いのは「転移と質的飛躍」と「入れ子箱」の考え方でリョサ文学にも当てはまる。転移とは20世紀文学にもよくで出てくる視点の変化で、語り手が何人もでてきて、私から彼へ、君へ、また全能な第三者と転移する。(フォークナーなど。)質的飛躍は平凡な日常を幻想的な別の現実に変えてしまう手法でラテンアメリカ文学では多い。(コルタサルなど。)入れ子箱とは、中心となる物語に派生的な物語をつぎつぎと入れていく。(古くは「千夜一夜物語」「ドンキホーテ」など。)
もう一つリョサが重視しているのが「通低器」という手法でちがった時間、空間、現実レベルでおこる二つなしはそれ以上のエピソードが、語り手の判断で物語の中で結び合わされることを言う。私はリョサの傑作「緑の家」を思い出した。
この本を読むと、文学の根底には現実に対する反抗精神と、現実を作り変えようという革命的幻想精神が、様々な文学手法の工夫とともにあることがわかる。(新潮社・木村栄一訳)