柴田南雄『日本の音を聴く』

柴田南雄『日本の音を聴く』
柴田氏といえば、「西洋音楽史 印象派以後」や「グスタフ・マーラー」などクラシック音楽批評でしられるが、同時に日本民俗芸能・社寺芸能の綿密な調査から作曲された合唱作品でも知られる。この本はその基盤となる日本の伝統的音の考察である。作曲家・武満徹民族音楽研究の小泉武夫とも通低する日本音楽論でもある。
縄文の石笛、弥生の土笛から銅鐸、能管、尺八、琵琶、琴、鼓などの日本楽器論は面白い。能で使う能管が縄文の石笛の音と通じるとの指摘は同感する。芭蕉の聴いた音の世界を俳句から分析した文章も、俳句を多層世界とみる面白さがあった。私が関心を持ったのは、東大寺二月堂の『お水取り』を音楽劇場として捉えたことである。行道や走りなど所作の激しさ、法螺貝、鐘、鈴、声明の織り成す音楽表現の豊かさを、その空間的立地条件から観ても、ワグナーのバイロイト祝祭劇場に匹敵すると柴田氏は考える。この本でもお水取りの部分には力が入っており、後の合唱曲「修二会讃」作曲にもなる。東大寺お水取りは中国、インドのみならず、西欧の古代、中世にも通じている。
いま日本の西洋音楽は華麗な娯楽文化・消費文化に密着しコマーシャルとエレクトロニクスのオーディオ音楽になり過ぎているという危機感がある。「音楽の原点は、人の心に生起した微妙な感情の動きを声に現したり、簡易な笛や原始の弦楽器で表現する時、そこにリズムや旋律が生じるそのことの中にある。それは即興的な、つねに新しく、自由な、また同じ発想の繰り返しのきかないものである。」という柴田氏の音楽観から生じている。(岩波現代文庫