ヴァレリイ『ドガに就いて』

ヴァレリイ『ドガに就いて』

画家ドガといえば踊り子や競馬の絵で有名だ。フランスの詩人・思想家ヴァレリイがドガの思い出を語るとともに、ヴァレリイの芸術・思想を述べたもので、ドガがヴァレリイの小説『テスト氏』に見えてくる。詩人・大岡信氏によれば、ドガ印象派が光のきらめきのなかで、華麗な色の波にまで解体してしまう「対象」を、輪郭(線)でも構造でも終始確保した古典主義の真髄を持っていたと言う。(『ドガ』新潮美術文庫)ヴァレリイは人間の目が集中して見ることによって、いかに想像を逞しくして観察を客観的で正確な結果に作り変えるかを論じ、リアリズムも創造されたものと考える。我々の視覚は構成されたものである。
 踊り子とは踊る女でもないし、踊っているのでもないというマラルメの言葉から、ヴァレリイは、ドガは絵の「地」を重要視し、踊り子が踊る姿が、磨かれた床に映る光線と色で、形や輪郭より見事に描いていると指摘する。ドガから無定形の踊るクラゲに不変の座標軸さえみようとするヴァレリイの官能性美学のくだりは面白い。ヴァレリイの言葉に「もっとも美しい作品は、形式が生み出す」というのがあったと思うが、製作するには人間の激しい意志や感受性、合理的科学、忍耐という全能力が必要で、人々を驚かせる新しさや不合理さは、恒久性を持ち得ないともいう。新規さのみ追う現代芸術批判がある。また裸体論、風景画論も面白い。芸術家を職人的労力の持ち主と考え、労苦を厭わない激しい意欲と、仕事そのものへの情熱と周到な知識に求めたヴァレリイの芸術観は、いまや古いのだろうか。翻訳も良い。(筑摩書房吉田健一訳)