『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』

『奇妙な果実』 ビリー・ホリデイ自伝
壮絶な一生である。20世紀アメリカの黒人歌手ビリー・ホリデイが自ら語った自伝は、黒人の苦難の生き方が赤裸々に描き出されている。ボルチモアの貧乏夫婦のもと生まれた時、ビリーの母は13歳だった。10歳にレイプで処女を奪われ、感化院に入れられ、14歳にニョーヨークで娼婦になる。そのため売春で刑務所に入れられる。母とニョーヨークで女中をしながら、頼み込んでクラブで好きな歌を唄い、見出され15歳の少女歌手となる。1930年代に白いくちなしの花を髪に挿して唄うビリーのブルースは、その苦難の生き方を反映していて、スターになっていく。この自伝で「餓え」と「愛」を私のように歌う歌手はいないと語り、その体験の感情を歌に込めるとも言う。主観的歌唱法といつていい。
 20世紀前半アメリカの黒人差別の凄さがビリーの体験を含め、繰り返し語られている。父は黒人のため病院をたらいまわしにされ死んでいく。ビリーも演奏旅行や舞台で侮辱を何回も受ける。利用しようと接近する白人男性もいる。ビリーの人生は麻薬と切り離せない。麻薬で何回も逮捕され刑務所にも入っている。なぜ麻薬かはわからない。複雑な要因があるだろう。幼少期の精神的外傷や人種差別、孤独、麻薬のジャズ界での蔓延、愛した男性の薦めなど分析はできる。ビリーは、麻薬の害と病気として捉えることを主張しながら、「もし、音楽や歌をやるのに、麻薬が必要なのだと思う人がいたら、気狂いだ。」と述べている。
1959年に黒人の麻薬患者として、病院の廊下に放置され死んだ。44歳だった。それからすぐ、黒人差別撤廃のキング牧師たちのワシントン大行進が始まる。(晶文社油井正一大橋巨泉訳)