スクリーチ『春画」中野美代子『中国春画論序説』

T・スクリーチ『春画
中野美代子『中国春画論序説』

春画とは何かを明晰に分析した本である。スクリーチ著の『春画』は18世紀江戸時代の春画を綿密に検討し、浮世絵と春画は一体のものであり、江戸のセックス生活のなかでポルノグラフィーとしてとらえる。副題に「片手で読む江戸の絵」となっているように男性独身人口が女性より多かった江戸人の自慰に使用されたという。これに対して上野千鶴子田中優子氏らから、江戸春画は個人的使用というより、パロディや諧謔・見立てなどの集団的趣味のためだったという反論がでている。
スクリーチ氏の江戸春画の分析はすぐれている。とくに男女の性差が性器以外にはほとんどなく、異性・同性愛の差別がない。春画のシンボルとして画中に描かれる屏風や桜、梅、杜若などの分析も鋭い。また日本春画では全裸のセックスがなく、鈴木春信も喜多川歌麿も着物(衣装)の襞などの緻密な描写によりエロスを浮き立たせている。だが日本春画の際立つ特色は「窃視(のぞき)」にあるという指摘は重要である。狭い四畳半での性行為を覘く。西鶴好色一代男』でも世之が望遠眼鏡で行水の女を覘く。日本も鎖国で引きこもり、出島から世界を覘く。
中野美代子著『中国春画論序説』は面白い。中国春画は庭や屋外に開かれた所での開放的性行為である。男女の姿はホッソリとしていて性差はない(ただし纏足で女とわかる)顔の表情はどちらも無表情で日本浮世絵の恍惚とした表情とはことなる。中野氏はこう指摘する。「中国の春画家たちは、男女の肉体を描く気はさらさらなかった。(中略)中国春画のなかの男女は、全裸の肉体と貧相な性器をもって、ありとあらゆる体位を示してみせた。それは房中術書に見える『養生』のための性交体位をつきぬけて、ほとんど実行不可能なアクロバットのような様相さえ呈している」
中国は肉体より身体を重視し生殖を養生・健康としてとらえ、日本では肉体(性器の拡大図、巨根)を重要視し、快楽的であると私は思った。春画から文明がみえる点でこの両著は学ぶところが多かった。(講談社学術文庫