斎藤環『戦闘美少女の精神分析』

斎藤環戦闘美少女の精神分析

この本は2000年に刊行され、06年に文庫版になり、10年には英訳された。おたく論、アニメ論としてはすでに「古典」である。ラカン派の精神科医が書いたのも面白い。ナウシカセーラームーン綾波レイなど無垢な可愛いい少女が戦闘するアニメが多い。なぜおたく文化は戦闘美少女を好むのかを精神分析の手法で解明しょうとしている。だからどうしてもセクシュアリティが強調されることになる。精神病理の視点も強まる。そうした視点が正しいかは議論になるが、おたくやひきこもり論には有効かもしれない。だがサブカルとしてのアニメ論には違和感が生じるし、斎藤氏の分析もそこはサブカル批評として精神分析から離れて論じている。
私は60年代からゼロ年代にわたる戦闘美少女の系譜や海外のものとの比較は面白く読めた。アニメに描かれた女性に欲望を喚起され、性的対象になるセクシュアリティが斎藤氏の問題意識である。わたしが読み応えのあったのは、第6章の「ファリック・ガールが生成する」だった。斎藤氏はアニメについて、無時間性、ユニゾン的同期空間、多重人格空間、ハイコンテクストなどを挙げているが同調できる。また虚構と現実という二元論をとらないことも、メディアの多様化も納得できる。だが「ヒステリーとしてのファリック・ガール」は分かりにくかった。戦う美少女に精神的外傷がなく、空虚な存在で、異世界を媒介するメディアのような存在(巫女)だというのはわかるが、空虚であることにより、欲望やエネルギーを媒介する女性がヒステリーで、ペニスと同一化して攻撃的になる点がよく分からなかった。(ちくま文庫