エスリン『演劇の解剖』

マーティン・エスリン『演劇の解剖』

イギリスの演劇評論家スタンフォード大学教授だったエスリンの演劇概論である。少々教科書的だが万遍なく、目配りが利き演劇とは何かがよくわかる。エスリンは演劇の直接性と具体性、つまり目の前で起きていることを無数の次元で解釈するよう観客に強いて、現実世界の特質のすべて、人生で出会う真の状況がそなわっているとする。その上で集団の経験―儀式として観客も巻き込む特質をもつ。観客も登場人物の一人になる。また劇の構造にはサスペンスが重要とみる。
「ほとんどの演劇は、生身の人間によってわたしたちの目の前で上演される虚構である。純粋な文学の虚構と違って、いわば生きた肉体の迫力と衝撃をもって、目で見たりして、手ごたえをたしかめることができる。こうした要素のおかげで虚構の中にも強烈なリアリティが確立されるのだ」と書いている。その結果、演劇には表現と意味が多元的に存在し、解釈の重荷をその経験の受け手である観客にゆだねてしまう客観性がでてくる。演劇の観客は好むと好まざると解釈に巻き込まれるのだ。演劇は観客の多元的解釈を必要とするから、どうしても曖昧性が必要になる。劇作家がまつたく気づかなかった意味を持つ。
ハロルド・ピンターの「帰郷」や「昔の日々」、ベケットの「ゴドーを待ちながら」をあげて演劇の強みは、イメージにおいては多様で、意味においては曖昧にあるとエスリンは指摘している。(北星堂書店・佐久間康夫訳)