三浦国雄『朱子伝』

三浦國雄朱子伝』
12世紀中国・南宋時代の思想家である朱子の伝記である。朱子学の創設者であり江戸時代の日本の思想に大きな影響を与えた。朝鮮にも伝わり東アジアの体系的思想の一翼を荷なった。アジアの近代は朱子学批判から始まった。儒者の伝記は退屈と思うだろうが、中国の思想家は官僚政治家だから、思想運動は政治運動に直結する。とくに宋時代は党争が激しかった。おまけに中国思想史は陰陽二元ではないが、対立が古代からあり(孔子老子儒教対仏教、など)弁証法的展開がある。朱子学にも陽明学という対抗思想がある。朱子も晩年に「偽学の禁」で危険思想と批判され、弟子は流謞されている。
この本は朱子の人間史に焦点を合わせている。不遇な中流官僚の長男にうまれ、様々な師に学ぶ。一時は禅に傾倒した。後の仏教批判からは想像できない。自己のために修養していく学問から、出世のために科挙の試験を受けて合格する。この相克は三浦氏の本でも朱子の生涯の縦糸になっている。官僚になっても役職を拒否したり、隠逸したり、家居(隠逸)と任官を繰り返している。科挙批判をしながらも息子には科挙を勧める。三浦氏の本で朱子が官僚政治家としても有能で県知事のとき大飢饉で善政を行ったことを知った。政治的腐敗に厳しく「静官」だった。
朱子の思想とは何か。「朱子文集・朱子語類」を読むことができる。(『世界の名著 朱子王陽明中央公論社朱子学主知主義であり、合理的体系論といっていい。今中国では客観的雄心論と位置づける。「性即理」であり「理」という普遍的原理の一元論とも見える。島田虔次はこう書いている。「理は人間の内なる理性であるとともに、人間の外なる天地万物の理である。人間の理と自然の理とは、連続している。道徳知と知識知とが未分に接合されている。いな、事事物物の理も道徳知の対象なのであり、そのようなものとして客観的なのであった。」(『朱子学陽明学岩波新書)ここから「格物致知」という実証主義のかんがえも生まれる。この理一元論が教条主義になると「道学先生」になる。(平凡社ライブラリー