吉田秀和『セザンヌ物語』

吉田秀和セザンヌ物語』

セザンヌの絵画と対話しながら芸術とは何かを探究した名著である。精神的品位をもつセザンヌの絵を精密に見ていくと、至るところで説明がつかない不思議な点があり、それが吉田さんを不安にして解明しようとする。何故セザンヌの絵がまがった軸心をもったり、食い違った幾つもの平面の組み合わせで今にも崩れそうな危ういバランスだったり、ルネサンス以来の遠近法から外れた斜め横のパースペクテブによる構成なのか、「不規則性」はセザンヌにとっては技法上の問題でなく、彼の絵画に宇宙の広がりを画面に凝集するためだったと吉田さんは見極める。
セザンヌがたびたび描いた静物のりんご、サント・ヴィクトワール山の風景画、水浴する女たち、「トランプをする男たち」などの人物画まで吉田さんの探究は目配りがよく納得できる。
 色彩の考察も面白い。セザンヌの「青色」が基礎音としてその上にすべての色が関係づけられ、色の音階が展開され「調和のリズム」を生む。セザンヌの晩年の作品は、広がりと奥行きの三次元だけではないものが現れる。「画面に置かれた一つの中心軸をめぐって、そのまわりをぐるぐる廻って眺めることも可能である絵―つまり、それまで彫刻にしかなかった多面性、運動性をもった製作―がうまれた」と吉田さんは書く。絵画に時間が入った訳でキュウヴィズムのさきがけでもある。セザンヌから現代絵画が始まった。
吉田さんはジョットの絵を見て以来、人間は天地を貫いて目に見えるものはもちろん、目に見えない精神的出来事も描けることを発見した。セザンヌの美術論にも自然の総て、自分の内なる自然つまり人間精神の姿に及ぶ宇宙を四角の平面画面にとらえる志を具現したながセザンヌだ。セザンヌの生涯は求道者のようであり、職人であり、私は仕事への集中に宗教性を感じる。華厳宗の「一念三千」の世界への没入である。と同時にアjシュタインの時空の相対性理論の絵画的先駆けである。(ちくま文庫)(2010年9月)