井筒俊彦『イスラーム文化』

井筒俊彦イスラーム文化』
イスラーム文化を宗教、法と倫理、内面への道の三つの文化的枠組みで捉えようとしている。宗教的思想が中心だから、文学や芸術はほとんど取上げていない。生活の根底には宗教があると井筒は見るから当然かもしれない。「コーラン」を核とした解釈的展開文化と、一つの信仰共同体という連帯感を挙げる。聖俗の区別の無いこと、人間の神への絶対他力信仰、キリスト教の三位一体の否定。神の瞬間的創造行為の連続は、イスラーム原子論を産み因果律や人間の自由意志を否定する(スンニ派)。感覚的アトムとしての事物の集合がアラブ的認識の特徴とも言う。井筒はイランのシーア派は、同じイスラームでも存在の空間的・時間的連続性が強く幻想的で超現実的と見る。シーア派スンニ派の現世的宗教法(シャーリャ)に批判的でもある。
さらに内面の道でスーフィズムイスラーム神秘主義)を取上げ、人間の実存の奥底に潜む内在神との合一の思想を考える。そのために自我の殻を脱ぎ捨てていく自己否定、自我意識払拭の修行の道がある。解脱による内在神の一体感はインド宗教に通ずるのではないか。だがイスラームはインド宗教の核である輪廻転生は絶対に認めない。イランはアラブとインドの中間にありゾロアスター教の基盤もある。そこがアラブ・スンニ派シーア派イスラームといっても微妙な違いがあるのではないか。
 さらに井筒はイスラーム法を論じている。井筒によるとイスラームとは砂漠的人間(血や部族の連帯感)の否定でありどちらかというと商人的人間の宗教(神への共通の信仰)だという。神と人の契約や嘘への嫌悪感はそれを示している。スンニ派的現世感は神の意思に従って現世的生活を正しく構築していく思想がある。来世の終末の審判に恥じないような現世の生き方はマックス・ウエーバーのいうプロテスタンチズムに通ずるのではないか、善悪の判定や恩寵は神のみの判断というのも。現世逃避的ではない。特にスンニ派のシャーリヤにおいては。清貧と禁欲の理想も。
私のような多神教の風土で生きている人間には、一神教啓典の民ユダヤ教キリスト教イスラーム教)の共通性が強く映る。だからこそ「異端」の闘争は激烈を極めるのかもしれない。(岩波書店)(2,010年9月)