東浩紀『弱いつながり』

東浩紀『弱いつながり』

     東氏といえば「福島第一原発観光地化計画」の推進者である。この書も「哲学とは一種の観光である」という思想で彩られている。寺山修司の演劇に『書を捨てよ町に出よう』というのがあった。東氏によると、ネットは階級や所属を固定する上に、グーグルの検索の枠組に統制され「強いきずな」に囚われる。これから解放されるには、グーグルが予測できない言葉で検索することで、そのためには、環境を変えるのが一番よく、世界に観光に出ることだという。
    コミュニティの人間関係の絆を強める「村人タイプ」でもなく、広く世界をノマドする「旅人タイプ」でなく、旅に自分探しという過剰な期待を持たず、ノイズとして旅を利用し、「弱いきずな」の観光で、検索という旅として自分の検索ワードを広げることを主張している。
    旅先で新しい情報に出会うよりも、「新しい欲望」に出会うことを重視する。情報は複製できるが、時間は複製できない。旅から、身体(欲望)、モノ、時間というものが芽生える。強いきずなは計画性の世界であり、弱いきずなは偶然性の世界で、それは旅に現れる。
    東氏の主張の背後には、20世紀思想の「言語至上主義」が、言葉による主張や解釈が、どんな意味でもひきだせるという「脱構築」(デリダの思想)による「メタゲーム」の様相を呈してくる危機感である。検索は自分に都合のよい言葉による物語を引き出すのに最適である。「炎上」もそこから生じる、東氏は、言葉の解釈は現前たる「モノ」に及ばない、時間や経験といった言葉の「外部」にあるものが言葉にまさる。証言も記憶も、その書き換えは可能で、それに抵抗するには「モノ」を残すことが重要という
東氏はチェルノブイリやアウシュビツの旅行は、物語検索よりもモノを重んじることを発見し、福島第一原発観光地化プランにつながったのだと思う。(幻冬舎