野口悠紀雄『戦後経済史』

野口悠紀雄『戦後経済史』

戦後70年に、野口氏が自分史を重ねながら、戦後経済史を語っていくのが面白い。野口氏は1945年東京大空襲で下町の防空壕から窒息死寸前で助け出され、父は戦死し、母子家庭で戦後生活を始める。野口氏の「1940年体制史観」が、戦後日本の日本経済をつくったという理論は、ここに原点がある。
戦時体制のため岸信介革新官僚が、産業を国家統制し、社会主義的な経済体制のため、企業、農政などを国民総動員していったことが、60年代の高度成長から、80年代までのバブル経済まで持続していていたというのだ。「40年体制」もバブルも、90年代に崩壊する。
  野口氏によれば、安倍内閣戦後レジームからの脱却というが、40年体制の戦後レジームへの執着であるという。市場の役割を否定し、国の経済介入を強め、賃金決定過程や、日銀の金融緩和で「円安」誘導で輸出大企業を援助し、日銀が国債大量買いで、国際市場を歪める。小林一三が岸を「アカ」という差別用語で批判したのと同じことが、安倍政権でおこなわれているというのだ。
野口氏は、高度成長期に大蔵省に入り、内部か日本経済を見ていく。高度成長の制度的基盤を、①低金利と資金割当②財政投融資日銀特融による証券会社救済を挙げている。
70年代に野口氏は大学教員に転じ、アメリカにも留学する。ニクソンショックと変動相場制を体験する。価格固定から変動の時代になる。40年体制の企業一家が石油ショックを後越えたという見方も興味深い。
80年代のバブル「金ピカ時代」に違和感を覚えたのは、勤労が報われず、地価高騰や株価上昇、金融操作での利益という虚業が冨をもたらすことだった。野口氏は40年体制の最後のあがきと見る。
バブル崩壊不良債権問題に、国家介入で国民税金10兆円が投入された。不良債権処理の税制上の無税償却で法人税収入は39兆円も減り、国民の損失になったと指摘している。
大蔵省スキャンダルやリーマンショック、円安麻薬論など鋭い分析がある。21世紀世界は日本を置き去りにして進んだという野口氏には、日本経済への危機感がある。中国の経済躍進やIT産業化、高齢化の介護問題には、40年体制では乗り切れないというのが、野口氏の戦後経済史の結論である。
国家介入を避けた、創造的自由経済市場論だと思うが、新自由主義とはだいぶ違う日本的国家統制への忌避が強い見方と思った。(東洋経済新報社