なだいなだ『江戸狂歌』

なだいなだ『江戸狂歌

    精神科医のなだいなだが、江戸狂歌を論じたもので面白い。明治以後の近代文学に笑いの傑作が見当たらないが、18世紀江戸・天明期の狂歌になだいなだは ユーモア・風刺文学を見出す。明治維新は、ブルジョワジーの笑いを押さえつけたという。夏目漱石は、アイデンティティの喪失に悩んだが、そのユーモアや風刺精神は、江戸文学からの継承だともいう。
    天明狂歌は、古今集俳諧化だというのは、作家・石川淳である。(「江戸人の発送方法について」)なだも、狂歌は本歌の引用、パロディ化から、情況のなかで詠まれたという。「風流」批判でもある。宿屋飯盛「歌よみは下手こそよけれあめつちの動き出してたまるものかは」は古今集序の「力をいれずして天地を動かし」のパロディである。
    日常的な喋り言葉を使う。「この世をばどりゃお暇と線香の煙と共にはいさようなら」(十返舎一九狂歌は短歌の形式を破る。「海国兵談」を自費出版し発禁になった林子平「親なし妻なし子なし版木なし金もなければ死にたくもなし」あたりから、権威・権力への風刺が強まる。
    なだは、幕府の下級武士(御徒「おかち」という非正規社員みたいな身分)である太田蜀山人におおくのページを割いている。天明狂歌を文学運動として捉え、武士や町人の「文芸共和国」的な同人誌運動=コミケだと見ている。松平定信の寛政改革を風刺した「世の中に蚊ほどうるさきものはなし文武(ブンブと掛ける)というて夜も寝られず」の作者となされ、疎外され一時狂歌から身を引く。幕府は、政治運動化することを恐れたとなだはいう。
   天明狂歌は、権力からの圧力のほかに、出版資本による金と名声という大衆化で、内部分裂していく。狂歌師の妻たちも参加し、より女性の視点と庶民の生活感覚も強まる。町人で宿屋主人の宿屋飯盛は江戸追放になる。「のがれても猶うき事はやま猿のひとりこのみにあくばかりなり」。このみは、「この身」と猿の好きな「木の実」を掛けている。
   日本文学には風刺精神が少ないわけではない。江戸天明期の狂歌がその存在を示している。(岩波書店、同時代ライブラリー)