坂口哲啓『書簡で読み解くゴッホ』

坂口哲啓『書簡で読み解くゴッホ

    私はかってゴッホと弟テオの厖大な書簡集(『ゴッホの手紙』岩波文庫全3冊)を読み、兄弟愛とゴッホの芸術観・人間観を知ったつもりであった。だが、今回坂口氏のさらに広く書簡全集を丹念に読み、ゴッホの作品創造の根底と、人間性の魅力を解明しているのに、大いに学んだ。魅力的な労作である。
    坂口氏はゴッホ理解の鍵は、「悲しみ」と「共感」だという。自死の臨終の時、弟テオに「悲しみは永遠に続く」と今際の言葉を述べたが、悲しんでいる者、虐げられている者への共感を寄せる愛の人、坂口氏は捉えている。
    坂口氏はゴッホ作品の三角形といい、自由なる自我と、他者への愛。宇宙や自然としての「神」の三角形を書簡から読み取っている。ゴッホが画家になるまでの「モラトリアム」時期に、牧師である父との確執、牧師・伝道師の学校での挫折、様々な職業の遍歴、画商の協会に就職した弟に金銭援助をしてもらうパラサイト生活、父母・親戚の厄介者が、天職の絵描きに成っていく人生は、確かに悲しみに満ちている。
    坂口氏は「百姓=画家」というが、自然のなかで虐げられ働く炭鉱夫や種まく人、身寄りのない男の肖像、娼婦、機を織る人、農婦の顔、馬鈴薯を食べる人々など初期絵画は、ミレーに近い絵画である。ゴッホは妊娠し出産した娼婦を助ける為、同棲までするのだ。
    パリに出て、印象派と浮世絵に衝撃を受け、色彩のエネルギーに目覚め、アルルという南仏で空気の明るさを求めていくが、「夕陽と種まく人」「収穫の風景」「日の出に麦刈る人のいる囲われた畑」など自然のなかで労働する「百姓=画家」という坂口氏の視点、正しいだろう。
    アルルでのゴーガンとの共同生活での耳切り事件の挫折は、芸術家の協同生活・相互扶助のゴッホの理想主義の過度さによると、坂口氏が指摘しているのは面白い。またゴッホとゴーガンは、記憶と想像力のゴーガンの「総合主義」、ゴッホの「表現主義」との相違が定説だが、「百姓」ゴッホと「野蛮人」という人間性の根源に帰ろうとした精神の方向性は同じだというのも納得する。
    坂口氏はゴッホは晩年狂人と見られているが。書簡からはそうした徴候はなく、新関公子著『ゴッホ 契約の兄弟』(ブリュッケ刊)による癲癇説をとり、自死は癲癇発作で絵が描けなくなり、弟の負担が増大する危惧からだったと見ている。兄を支え続けた弟も半年後に死んでしまう。34歳だった。(藤原書店