クラーク『レンブラントとイタリア・ルネサンス』

ケネス・クラーク『レンブラントとイタリア・ルネサンス

   17世紀オランダの画家レンブラントは、古典主義的なギリシャ・ローマ芸術やイタリア・ルネサンスを学ばず、反古典主義の北方の絵描きと見なされていた。だが、1656年の破産の「財産目録」で、膨大なイタリア美術品やギリシャ・ローマの彫刻など百科全書的コレクション蒐集家(そのため破産した)であり、ルネサンス古典芸術の神髄を掴み、聖書や神話に基づく絵画を描いたことがわかった。クラークの本も、その視点でレンブラント論を展開している。
   クラークは、若きレンブラントが反逆的ロマン主義者だったことを「自画像」「ガニュメデスの略奪」「眼を潰されるサムソン」で示して、ルーベンスバロック演劇性、曲線性、対角線の後退などに近いが、同時にルネスサンス古典主義を深く吸収していたことを指摘している。ラッファエッロの透徹した画面構成は「神殿への奉献」「猫のいる聖家族」などに生かされ、ダ・ビンチの「最後の晩餐」の構図は、「サムソンの婚礼」や「織物組合の理事たち」「夜警」など明瞭で簡潔な合理的構図の土台になっているとクラークはいう。
   芸術における伝統とその発展の不思議な継承を、レンブラントにみる。私はこの本でレンブラントが聖書や神話を扱っていても、オランダの日常の人間の世俗的な生活と愛を描いていることを知った。
   そこには人間の個人性とその不滅性への愛があり、レンブラントの自画像の多さ(100点近い)や、妻サスキア、内縁妻のヘンドリッキェの多数の肖像画などが、また数多い老人を描くことに(「母の像」など)現れている。クラークは、ジョルジョーネやティッアーノなどベネチア派の影響をも重視している。
   レンブラントの光の明暗法も、風車の回転による部屋の明暗さからきている(「レンブラント」嘉門安雄・新潮美術文庫)というが、クラークは1400年代のイタリアの矩形と立方体の透視画法の影響を重視している。地中海文明・ルネスサンスが、北方の17世紀オランダ市民社会に体現されていく文化接触として、レンブラントがいる。(法政大学出版局、尾崎彰宏、芳野明訳)