ルルフオ『ペドロ・パラモ』

ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』

 20世紀中葉・メキシコの作家・ルルフォの今や古典となった傑作小説である。メキシコ近代の風土が色濃く反映されている。70の断片の連環で、過去と現在、生と死が、綯い交ぜになって、終末が最初に戻る円環小説である。前衛的手法だが、父親(ぺドロ・パラモ)を探しにでる息子が、没落し死者ばかりの町コマラにたどり着くところから始まる。このコマラという町は南米文学で、その後ガルシア・マルケスなどで創造される架空の町である。この息子も殺され、すでに死んだ母親の墓の隣で語り出す。
 過去の死者が、生者の所に「ささやき声」で登場する。かって楽園だったコマラが、没落し死者の町になっている象徴として、雨や水の音が多用されている。楽園だった時の描写は、青々とした平原、穂が風にそよぎ、暖かい日差しのもとでみかんの香りだけがするというように描写される。そこは、暴力と欲望と野心が渦巻き、そのボスがペドロ・パラモである。パラモの息子3人はすべて殺されるが、その前にパラモも末の息子にあっけなく殺され、、一族は絶滅する。父捜しと父殺し、ドストエスキーの世界が、死者の世界を生者と同等に扱うメキシコで繰り広げられる。
 だが、ぺドロ・パラモは野心と暴力と利権の男だが、恋いこがれた狂った妻の最後まで愛情を注ぎ、死によって虚無的になり籐椅子に座ったまま、殺されてしまう。その死の描写が私は好きだ。「スサナ(妻)」「戻ってくれって頼んだのに」のあとこう続く。「夜空には大きな月がかかっていた。おれの視線はどこまでもおまえの姿を追い求めていた。おまえの顔に、月が流れていた。おまえの幻をいくら見ても、飽きることはなかった。月の光をうけて輝く、なめらかでふっくらとしたおまえの唇は、濡れたように星の虹にきらめいていた。」暴力と愛情が綯い交ぜになっている。
 この小説は、死も生も交錯して、どちらも虚無のなかで消えていくのでる。大震災や原発事故後の荒廃し、死者に囲まれた町が報道されていたのを連想しながら、この失楽園小説を読んだ。(岩波文庫杉山晃増田義郎訳)