古田亮『俵屋宗達』長岡龍作『日本の仏像』長部日出雄『阿修羅像の真実』

古田亮『俵屋宗達
面白い。「宗達琳派ではない」というセンセイショナルな帯が付いている。だが読むと宗達を近代美術や世界的視点から見直す分析が冴えている。宗達のブームが大正期に起こり、今村紫紅速水御舟小林古径前田青邨さらに「今様宗達」と呼ばれた梅原龍三郎まで続く魅力に迫る。またマチスとの比較で「音楽的絵画」という考え方で共通点を見るのもみごとだ。
宗達光琳酒井抱一、鈴木其一)との相違は大きい。西欧流美学でいえば、宗達バロック光琳ロココだ。一緒の流派にするのは確かにおかしい。三者の「風神雷神図屏風」を見れば一目瞭然だ。宗達にはその動的な動き、つまり運動性と連続性があり、現代の漫画やアニメに通ずる。そこをもう少し分析してほしかった。光琳の静的で装飾的デザイン画とは違う。宗達は桃山期の狩野派に近い。能楽の音楽性もそなえている。
宗達の伝記は不明の部分が多い。原点は宮廷画家というよりも京都町衆で扇屋(絵屋)だったことが重要だ。屏風や扇、和歌本といった実用品とその枠組みの中でダイナミックな絵を描く。限定された定型のなかで動的宇宙を描く芭蕉俳諧の美学に通ずると思う。(平凡社)(2010年6月)

長岡龍作『日本の仏像』
長部日出雄『阿修羅像の真実』

2010年に展示された興福寺の「阿修羅像展」には160万人の人が押しかけた。仏像ブームといわれる。仏像を論じた本には大きく分けて二つある。一つは日本文化・美学から論じたもので和辻哲郎『古寺巡礼』がそれに当たる。二つは仏教史や仏教思想など宗教信仰からみたものである。
長岡氏は日本美術史の専門家だが、仏像がどうして作られ、どのように受容されたか、古代(7−8世紀)の祈りと美を統合して論じている。素材からみると飛鳥時代の木造仏(救世観音像)は霊験があるとされたクスノキで作られ、霊験の期待がこめられている。奈良時代の銅製は金メッキで金色の荘厳美を演出する。だが木彫仏と金銅仏の違いは銘文が光背、台座や胎内に書かれている点だと長岡氏は指摘する。救済の願いを強いメッセージとして書き後世に伝えようとした。法隆寺釈迦三尊像の銘文が玉虫厨子を生み光明皇后の仏像づくりに伝えられた。仏像はメディアだった。
長部氏の本は興福寺など天平時代に多くの仏像をつくらせた美と信仰の光明皇后を中心に書かれている。聖武天皇の時代、日本は仏教国家だった。長部氏は和辻哲郎亀井勝一郎の考え方にのっとり、阿修羅像と光明皇后のかかわりを解き明かそうとする。懺悔と贖罪の苦悩に苛まれていたという光明皇后が、製作者で帰化人とされる仏師・将軍満福のモデルだというのが、長部氏の仮説である。真偽は別として、戦いを好む鬼神が仏教に触れ懺悔して発心する二重性が三面の表情に現れている仏像が人気を呼んだのが面白い。(2010年6月)