根本敬『物語 ビルマの歴史』

根本敬『物語 ビルマの歴史』

 なぜ「ミャンマーの歴史」でないのかを根本氏はこういう。1948年独立時から「ミャンマー」であり、英語では「バーマ(ビルマ)」だったが、1989年クーデターで成立した軍事政権が英語名称をミヤンマーに統一した。王朝時代書き言葉ではミャンマー話し言葉ではバーマが使われ、1930年代国軍の誕生と密接な関係ある反英ナショナリスト団体タキン党はバーマを使い、いま民主化運動も独断で名称を変えた軍事政権に反対しバーマを使っているからであると。国名にもこの国の歴史の複雑さが見て取れる。
  多民族、多宗教、多言語の国で、そのため「連邦制」を取っているが、今でも少数民族(カレン、カチン、シャン、ロヒンギャーなど)問題は解決していない。根本氏の本は、少数民族と難民問題を歴史的に描いているのも興味深い。この本は11世紀から19世紀までの「王朝時代」よりも、1886年に英国植民地になってからの近現代史が三分の二を占めている。国家の在り方の基本制度が英領時代に造られ、20世紀のビルマ民族のビルマナショナリズムも植民地独立から生じているからだと指摘している。この本の特徴は両世界大戦化にビルマナショナリズムが台頭し、いかに発展していったかが描かれている。それは今のミャンマーにも、正負の遺産として残っている。
  私が興味深かったのは、日本軍の侵入と占領の歴史である。日本軍の謀略活動・南機関が反英運動のアウンサン将軍(アウンサンスーチー氏の父)にビルマ独立義勇軍を作らせ、ビルマ侵攻作戦に協力させた。日本軍政下、名目的「独立」付与されたが、日本兵士の横暴(慰安婦、平手打ち)カラゴン村虐殺、泰緬鉄道工事の強制労働(13万―15万人死亡犠牲)から、アウンサン将軍らは、抗日戦争を起こす。ビルマ史のなかで、3年半の日本占領期をどう見るかも、根本氏は詳しく分析している。
  戦後の対英独立交渉に成功し、総選挙も行われ、新憲法を作った国軍の父若きアウンサン将軍が1947年に閣議に集まった時に暗殺された。この暗殺はケネディ大統領暗殺に匹敵する謎があり、政敵の犯人らは処刑されたが、武器を提供した英国人や、後に軍事クーデターを起こす軍の幹部などが背後にいたという説も紹介されているが、闇の中である。
 この暗殺後ウー・ヌ政権が継ぐが混迷し、ビルマ社会主義を標榜する軍事政権がクーデターで独裁政権となり、アウンサンスーチー氏率いる民主化運動を弾圧する。
 アウンサンスーチー氏がガンジー思想の影響を受け、非暴力運動で民主化の運動を続け,暴力装置である軍部に粘り強く抵抗する凄さも描かれている。2011年の「民政移管」までの23年間も、なぜ軍事政権が続いたかなど詳しく分析されている。ビルマ通史として優れている。(中公新書