金森修『科学の危機』

金森修『科学の危機』

     いま科学の危機がいわれる。原発事故の放射能問題、遺伝子組み換えの生命科学、科学論文不正、医療、薬害、軍事科学など科学の根本を揺るがす事態が生じている。金森氏は、なぜ科学危機が生じたのかを、科学の変質をもとに解き明かし、科学批判学を構築しようとしている。
     19世紀の科学から現代にいかに科学が変わってきたかを、金森氏は辿る。科学社会学マートン氏の基準である科学者が科学者共同体の一員として①公有制②普遍性③無私製④組織化された懐疑主義から、国家の関与、資本主義的至上主義の企業利益などで科学は、個人の好奇心駆動型から、外部のミッション駆動型に変化していく。
     「ノーマル・サイエンス」から「ポストノーマル・サイエンス」の時代になる。科学者の「専門性」が、戦略科学など社会の非専門性によって溶解し始める。科学・ザイマン氏は現代科学者の精神特性を①所有化②局所的③権威主義的④被委託性⑤専門性というサラリーマン化した科学者像とした。
     だが20世紀の科学は、日常性を超脱するところにその本質を持つ。同時に国家や産業による「体制化科学」の面が強まる。金森氏は日本での戦後の科学批判を、生活者や市民のサイドからの「科学批判」として、社会的責任論を踏まえ、民主主義科学者協会や、唐木順三、廣重徹、さらに中山茂、宇井純高木仁三郎柴谷篤弘などを紹介している。
     1980年代以降、バイオテクノロジー、ゲノム科学、コンピュータ関連技術、ロボテックス、ナノテクなど進展し、中山茂のいう「サービス科学」と「科学の社会的アセスメント」は困難になって来ていると金森氏はいう。
科学専門化と市民層の「知識格差」「知識勾配」は大きくなり、国家科学、産業科学の資金源の増大は、いま制度的保障のない科学責任論を困難にしている。マートン氏の古典科学の基準は、揺らいでいる。金森氏は安易な「反科学論」には組みしていない。どちらかといえば、公益性や公正性という古典的な科学批判である。
     知識生産の「選択と集中」政策よりも、脱中央集権からの脱却と、個別具体的な問題での市民層の批判が必要と金森氏は見ている。さらに、科学という制度が、「他の文化から離脱し自己隔離的な定位をすることで自己を純化させ深化させ認識」より、「科学者のなかの非科学者的で実存的な位相を時々意識しながら、科学研究を進める」ことの重要性を説いている。(集英社新書